セクハラを見聞きした場合、あなたはどうしているでしょうか?
多くの方の場合、何も知らない。何も見聞きしていない。と無関係を装おうとしては
いないでしょうか?
「いじめ」の時も同様ですが、「セクハラ」の場合も周囲のその他大勢の人々が、
その場で注意をする事によって、「セクハラ」をしている本人に対する「自意識」を、
芽生えさせるのではないのでしょうか?
その場で何も言われなかった。つまり、「容認」しているのですから、
実際に「セクハラ」を行った本人よりも周囲の「認識したうえで黙認」している
周囲の人々の方にこそ、「問題」があるように思えます。何しろ、本人は罪を償わなければ
いけませんが、周囲の「黙認」している人々は「無実」なのですから。
そこがおかしいような気がするのは、経験者である人間だけなのでしょうか?
「セクハラ」があった事実を「黙認」している訳ですから。いわば「共犯」のようなもの
ではないのでしょうか?むしろ「囃し立てる」「便乗する」等は「犯罪」そのものなのでは
ないのでしょうか?
その人々は、「セクハラ」と「認識」しておらず、「いじめ」と勘違いしているので、
「自分は無実だから何をしても良い」と「助長」させてしまうのです。
大きな勘違いだとは思わないでしょうか?周囲の人々は「何をしても良い」のでしょうか?
よくニュース等で見聞きするのは、「セクハラ」をした「本人」だけが「逮捕」あるいは
「起訴」された。という情報です。では、周囲にいた人々はいかがでしょう?
「逮捕」あるいは「起訴」されますか?自裁のところ「無罪」です。
芋づる式に、次々と「逮捕」や「起訴」されると、その職場に「意識の変化」が
現れる事と思います。
そのくらい強い罪意識を持って臨まなければ、「セクハラ」等というものは、
なくなることは今後もあり得ません。職場における環境を変えるだけでは、
人の意識は変わりません。
今回は「セクハラ」で上司が「逮捕」されたけど、「同調」した自分たちは
「無実」だったから「何も悪い事はしていない」。こんな認識の下で動いている
職場環境で「セクハラ」がなくなるのでしょうか?
答えは「NO!」です。この様な職場環境では「セクハラ」はなくなりません。
「黙認」している状態つまり、「周囲も罪人」だという「認識」を持たない限り、
職場での「セクハラ」は一向になくなりません。
一人捕まっても、次に台頭してくる人が控えているのですから。
どの様なコミュニティーでも同様です。
職場は然り、家族内や近隣住民間でも然りです。
職場内でしたら、相談をする窓口がありますが、それ以外のコミュニティーでは、
いかがでしょうか?
家庭内においては、「君の年齢がいっているせいで子供ができない」や、
未だに根付いている、「女の人は家庭に入るべきだ」等の心無い言葉が、
一番身近な家庭内においても、飛び交っているのは事実です。
「子供ができない」のは、女性だけに問題があるのでしょうか?
最近では「男性にも問題がある」場合も見受けられるのですが、
「男性」は決してそれを認めよとはせず、頭から「悪いのは女性の方だ」と
決めてかかっているのですから、「セクハラ」以外の何物でもないでしょう。
家庭内における「セクハラ」に対しての世の中の認識は、まだありません。
その他にも「近隣住民」や「親族」による「子供はまだ?」や「次の子も作るのでしょ?」
という心無い一言は「セクハラ」には当たらないのでしょうか?
元々「ハラスメント」とは「嫌がらせ」という意味ですから、「セクハラ」は
職場内のみならず、「家庭内」やその他のコミュニティーにおいても「セクハラ」として
訴える事も可能なのではないのでしょうか?
「周りの人々」や「「身近なコミュニティー」における「セクハラ」に対して、
もっと「認識」が必要なのではないのでしょうか?
現状では、「野放し状態」になっているのが事実です。
「セクハラ」は男性から女性が受けるものから逆のパターンも、近頃耳にします。
こちらの場合は「周囲の人々」の対応がだいぶ違ってきて、「怖くて注意できなかった」
あるいは「知っていたが注意できなかった」と「認識」してはいるのですが、
上司に、にらまれたくないといって「保身」に走ってしまう傾向が見受けられます。
また、この場合の「セクハラ」においては「上司が女性」だからこの様な事が
起きたのだと「マスコミ関連」がゴシップネタにしそうな情報が飛び交ってしまいます。
これは、「マスコミ」における新種の「セクハラ」に値するのではないでしょうか?
「セクハラ」は様々な場面において起こり得るものです。
決して「職場内」だけではない事を「認識」しておいていただきたいと思います。
そして、どの様な場面で「セクハラ」に出会ったとしても、「自分には関係ない」ではなく
「セクハラ」をしている「本人」に対して「注意喚起」をする事が望ましいと感じます。
同時に、「周囲の人々」すなわち「傍観者」も様々な意味において「共犯者」であるという
事を常に念頭に入れておいていただけないでしょうか?
この心がけだけでも、コミュニティー内における「セクハラ」は減少していく事と思います。